平成28年度卒業証書学位記授与式 学長式辞

  • 2017.03.21
  • お知らせ

平成28年度卒業証書学位記授与式 学長式辞

 平成28年度広島文教女子大学並びに広島文教女子大学大学院の卒業証書・学位記授与式は、学部卒業生、大学院修了生と、その門出を祝福する来賓、保護者、教職員、在学生でいっぱいになった本学体育館にて、盛大に行われました。

卒業式 047.JPG

 角重 始 学長の式辞の締めくくりの部分を紹介します。


 私は、広島文教女子大学に着任して丸32年になります。その内の13年を学長として、その任に当たってきました。残念ながら、最近は学生の皆さんと接する機会も少なくなってしまいました。その数少ない中の一つに、「社会と女性」という現代教養科目の授業があります。私の専門分野が日本史ということもあって、シラバスも日本女性史をベースにしています。ここ2、3年は、「まとめ」にあたる15回目の授業を「女流文学作品はなぜ消えたのか?」という、思わせぶりなテーマで行ってきました。

 歴史に名を残した女性というと、ただちに思い浮かぶのが紫式部や清少納言といった女流文学作品を書いた女性たちです。ほかにも『蜻蛉日記』の作者である藤原道綱母や『更級日記』の菅原孝標女の名前が挙げられます。彼女たちに共通しているのは、いずれも平安時代の中期、摂関政治が華やかなりし頃に活躍した中流貴族の女性であったことです。ところが、不思議なことに鎌倉時代後期に成立した『とはずがたり』という日記文学を最後に、それ以後は『源氏物語』や『枕草子』のようなすぐれた文学作品が書かれることはありませんでした。

 どうしてそうなったのか、その理由について考えるのが授業のねらいです。結論的に言えば、南北朝時代を境にして女性の〈自立性〉が失われてしまったということになります。60年に及ぶ南北朝の内乱を経過する中で、天皇家や神仏といった既成の権威が大きく揺らぎ、替わって武士を初めとする世俗の権力が力をつけてくる。ちょうど男性優位の社会が築かれていく時代と重なります。考えてみれば、いつの時代にも才能に恵まれた女性はいるはずです。しかし、その才能が開花するかどうかは、周りの環境に大きく左右されます。文学作品は単に文字が書けるだけでなく、女性が人間として自分自身の目をしっかり持ち、周辺の社会を捉える力がなければ生まれません。『源氏物語』は、天皇を中心とする宮廷生活の中にあって、男性の心の動きを自分の目で見、読み取ることができる、紫式部の人間的な力量なくしては生まれませんでした。そうした〈自立性〉を14世紀以前の貴族女性は明らかに持っていたのです。 

 もう一つ歴史の話を続けましょう。東京大学で日本近現代史を教えている加藤陽子さんという歴史家がいます。数年前に首都圏のある中高一貫校の生徒を相手に「なぜ日本人は戦争を選んだのか?」というテーマで連続講義を行い、その問答を一冊の本にまとめて話題になった人です。昨年、その続編にあたる『戦争まで』(朝日出版社)という本が出版されました。

 1941年12月に始まった太平洋戦争に至るまでに、日本と世界の間で交わされた政治・外交交渉の過程で、世界が日本に対して「どちらを選ぶのか」と真剣に問いかけてきた三度の交渉の場面があります。1932年、国際連盟によって派遣された調査団が作成したリットン報告書をめぐる交渉。1940年、ヨーロッパでの戦争と太平洋での日米対立を結びつけることになった日独伊三国軍事同盟条約の締結交渉。そして、1941年4月から11月まで日本とアメリカの間でなされた日米交渉です。史料をもとに当時の人々に見えていた世界を中高生たちの頭の中で再現させ、最適な道を見つけるにはどうしたら良かったのかを考えさせる、究極のアクティブラーニングが展開されています。 

 私がこの本の中で一番印象に残った箇所は、授業の最後のところで生徒が発した、「アメリカでさえも予想していなかった戦争に、日本が最終的に走ってしまったというのは、やっぱり民衆の声というのが一番大きかったのですか」という質問に対して、加藤さんが思わず漏らした次の言葉です。「自分たちの身の回り三メートルの世界の幸福を考えていてよいはずの民衆が、なぜ、一番強硬なところへ、天皇も恐れなければならない勢力や意見に引っ張っていかれてしまうのか。その哀切さに、誰しも打たれますね。これを避けるための一つの知恵は、教育だと思うのです。」というくだりです。これに続けて、珍しく感情を露わにさせながらこうも述べています。

 戦前期においては、女子という、人口のおおよそ半分を占める人間に、男子と同じ教育を授けてこなかった。また、尋常小学校から高等小学校までの教育と、中等学校以上の教育の内容がかけ離れていました。

 二つの話に共通するのは、自立した人間を育てることがいかに大事か、ということです。教育の使命は、これに尽きるといっても過言ではありません。武田ミキ先生が「新生日本の根幹となる真実に徹した堅実なる女性の育成」を建学の精神に掲げ、広島県可部女子専門学校を設立したのは、戦後間もない昭和23年のことでした。「心を育てる」教育を拠りどころに、知識技能の断片的な教育でなく教育が生活に結びつく教育によって「自立した女性」を育てる。こうした崇高な理念・目的のもとで皆さんは学び、成長し、この晴れの場に臨んでいるのです。そのことを何よりも誇りに思ってください。

 わずかな偶然が世界のありようを大きく変えてしまうかもしれない。そのような時代の激変期に私たちは立ち会っています。残留優勢との予測を大きく裏切り、国民投票でEU離脱の道を選択したイギリス、当初は泡沫候補あつかいされていた「米国第一」を掲げるトランプ氏を大統領に選んだアメリカ。そこには、「それでも、戦争を選んだ」戦前の日本の姿と重なり合うものがあります。「最も高く、硬いガラスの天井は破られていないけれど、いつか、誰かが突破する。願わくは、わたしたちが思っているよりも早く」と述べたのは、最有力候補と見られながら大統領選挙で敗北を喫したヒラリー・クリントン氏の政治家として最後の言葉です。

 皆さんがこれから社会に出たときに、見えないが打ち破れないガラスの壁に、いつかどこかで遭遇することがあるでしょう。どうか、広島文教女子大学で学んだ貴重な日々を思い出し、「自立した女性」として、その困難を乗り越えていってください。最後になりましたが、皆さんのご健闘とご多幸をお祈りし、式辞といたします。