令和5年度卒業証書学位記授与式を挙行しました

  • 2024.03.27
  • お知らせ

令和5年度卒業証書学位記授与式を挙行しました

 令和6年3月20日(水),本学体育館において令和5年度卒業証書学位記授与式を挙行しました。

 修了生,卒業生のみなさま,また保護者のみなさま,おめでとうございます。

 広島文教大学で夢の実現に向けてそれぞれに研鑽を積んだ,大学院人間科学研究科修了生8名,教育学部卒業生149名,人間科学部卒業生261名が,大きな志を胸に学び舎を巣立って行きました。

 本学教職員一同,修了生,卒業生のみなさまのご活躍とご多幸を心よりお祈りいたします。

 

 

 

学長式辞

困難な時代を歩みゆく卒業生に向けて

 

 本日ここに、令和5年度広島文教大学並びに広島文教大学大学院の卒業証書・学位記授与式を挙行するにあたり、学部卒業生410名、大学院修了生8名の皆さんに、まず心よりのお祝いを申し上げます。また、諸事ご多忙の折、本式典にご臨席を賜りました、内閣総理大臣 岸田文雄先生秘書 田邊博之様、本学園の武田義輝理事長を初め、ご来賓の皆様方に感謝の意を表しますとともに、この日を待ちわびておられた保護者、ご家族の皆さまにも、心よりお慶びを申し上げます。

 皆さんがこのキャンパスで学んだ2年乃至4年間は、その多くの時間において、新型コロナウイルスの感染拡大に大いに影響を受けました。私たちがこれまで当たり前に行ってきた社会生活上の習慣の見直しが迫られ、それに伴って、各地で多くの伝統的な行事や大規模なイベント等が中止や延期を余儀なくされました。しかし新型コロナウイルス感染症の法律上の位置づけが変更されたことにより、今年度は感染拡大以前の落ち着きをようやく取り戻してきたように思われます。

 皆さんは、平成31年4月に大学名称を改めた広島文教大学の第2期生として所定の学業を修了し、いま、卒業の時を迎えられました。この門出に際し、実社会への一歩を踏み出す皆さんに、はなむけの言葉を贈りたいと思います。

 

◇「大学時代」という特権との別れ

 この大学生活の中で、皆さんはそれぞれの学科や専攻に所属して、将来への夢を胸に抱きながら専門的な学修を深めたことと思います。信頼できる恩師に導かれ、親しい仲間に囲まれたキャンパスは、掛け替えのない学修空間であったはずです。また、学外実習、ボランティア活動、クラブ・サークル活動、さらには身近な人間関係など、大学生活のさまざまな局面における多様な学修が、皆さんの人間性の彫琢に資するところ大であったことと思います。

 いわゆるコロナ禍による多大な制約が生じたとはいえ、皆さんの2年乃至4年の学びの多くは、大学時代であるからこその特権がもたらしたものであると言えます。とすれば、卒業という今日の節目は、この大学時代の特権を手放す時でもあるわけです。

 

 

◇「予測困難な時代」のただ中で

 現代は、「予測困難な時代」であると言われています。皆さんがこのキャンパスで学んだ期間を振り返ってみても、コロナ禍による政治的、経済的な混乱により、世界のさまざまなシステムが大きな変更を強いられました。また、地球環境の変化による気候変動や人知を超えた大規模自然災害などが毎年のように甚大な被害をもたらし、長期間にわたって私たちの生活に影響を及ぼし続けています。さらに、科学的予想をはるかに上回るペースで進行する少子化は今後萎み縮小していく日本社会の姿を確実に予測させるとともに、今後降りかかるであろう困難な課題が、私たち一人ひとりの将来に漠とした不安を覚えさせます。

 また、この広島の地で生活し学んだ私たちにとってさらに深刻に受け止めるべきは、ヒロシマの願いとも言うべき「平和」が侵され続けていることです。近年、日本周辺の地政学的なリスクは将来に向けて不吉な影を色濃くしています。また、欧米の大国による過去の政策がもたらした民族間、宗教間の歴史的な対立を背景とするイスラエルとハマスの軍事衝突については、毎日のように悲惨なニュースが伝えられていますし、ロシアの突然の軍事侵攻によって始まったウクライナ戦争は、2年が経過した今も膠着状態が続いています。

 昨年12月、ウクライナ戦争のただ中で生きる人々が発した言葉を詩人 オスタップ・スリヴィンスキーが記し留めた書、『戦争語彙集』(岩波書店)が出版されました。本書には、日本語への翻訳を担当し、ウクライナの人々の言葉に触発されて実際に戦時下の現地を訪問した日本文学研究者 ロバート・キャンベルさんの旅の記録も収められています。

 戦時下ウクライナの人々の言葉はそれぞれに多くのことを考えさせますが、翻訳者キャンベルさんが現地の大学で日本語を学ぶ学生から投げかけられたという次の言葉には、強い衝撃を覚えざるを得ませんでした。すなわち、

 

 「平和」の代わりに「勝利」と言ってみていただけませんか。ふわっとした着地点の見えない「平和」では、むしろわたしたちの言語も文化も、わたしたちの生命すら脅かされかねないからです。

(オスタップ・スリヴィンスキー、ロバート・キャンベル訳『戦争語彙集』)

 

 日本に住む私たちには当たり前の、そして最も大切な正義の一つでもある「平和」の価値がここではもろくも崩れ、「言語や文化、生命をも危うくする」と、その意味を反転させられています。「予測困難」な状況下で勃発した戦争という現実は、戦時下で生きていかざるを得ない人々から「平和」の価値すら奪い去ってしまう―戦争のみならず、予測困難な時代の状況とは、このような恐ろしさを底に秘めたものと言わねばなりません。

 

◇「予測困難な時代」の学び

予測困難、すなわちこれから先に何が起こるか、今後どのようになっていくかわからない時代に支えとなるのは、やはり「学び続けること」です。学び続けることで、激しく移り変わる時代状況に適応し続けることができるからです。これから独り立ちする皆さんは、何よりもまず学び続けることの大切さを改めて肝に銘じなければなりません。そして、社会に出てからも学び続けなければならないのはいったい何のためなのか、一歩踏み込んで、その根本を考えてほしいと思います。

何のために学び続けるのか―この問いに対して、皆さんはどのような答えを準備するでしょうか。イギリスの文化思想家 ローマン・クルツナリックの著書『グッド・アンセスター』の中に、北アメリカ先住民族の一つであるアパッチ族のある格言が引用されています。すなわち、

 

我々は先祖から土地を受け継ぐのではない。子どもたちから土地を借りるのだ。

(ローマン・クルツナリック、松本紹圭訳『グッド・アンセスター』)

 

 子どもたちから土地を借りているという彼らアパッチ族の言葉の背景には、当然ながら、借りたものはそのままの形で、あるいはより良い姿で子どもたちに返す(つまり、子どもたちの世代に遺し、受け渡す)という意識が強固に存在しているはずです。グッド・アンセスター、すなわち「よき祖先」というタイトルの本書は、このアパッチ族の例を引きつつ、長大な歴史的スパンの中で現代の我々の時間感覚を相対化し、いまこの時だけに価値を置く短期的な思考がこの世界そのものの未来を蝕む要因の一つになっていると警鐘を鳴らしています。

 先の問いに戻ります。

 何のために学び続けるのか―紹介したアパッチ族の格言は、この問いに対して十分な答えの一つになっていると、私は考えます。予測困難な時代であるからこそ学び続けなければならないのは、それが単に私たち一人ひとりの幸せな人生をもたらすからだけではなく、未来の世代により良い社会、より良い世界を遺し、受け渡してゆくことが大切だからです。この北アメリカ先住民の残した言葉は、昨今世界的な潮流としてにわかに叫ばれ始めたSDG’sの理念をも、象徴的に言い当てていると思われます。

 皆さんお一人お一人が、未来の世代により良い世界を遺し、引き継いでいく責務を負った、現代社会の一員なのです。

 

◇理念ある「学び」が、人と社会を支える

 ちょうど4年前の2020年、今日 学部を卒業する皆さんを本学に迎えた春には、コロナ禍のために入学式を挙行することができませんでした。その挙行できなかった入学式のための式辞でお伝えしようと準備していた言葉を、いま改めてお伝えしようと思います。

 皆さんには、自らの豊かな人生を実現するための学びだけでなく、社会との関わりの中で自らの果たすべき役割を確かに見据えた学びを修めてほしいと願い、それを創設者 武田ミキが残した次の言葉でお伝えしようと考えていました。すなわち、

 社会の正常なる発展は、帰するところ人であります。本学園の教育指針は、 この人づくりであります。

 創設者 武田ミキは、教育の力で学修者一人一人の力を十分に伸ばし、有為な人材として社会に送り出し、もって社会の正常な発展に資することを願っていました。それを端的に表したのが、皆さんが親しんだ「育心育人」という教育理念です。創設者が考えた「社会の正常なる発展」とは、まさに次の世代に受け継ぐべき「より良い社会、より良い世界」を意識したものですが、創設者が残したこの言葉は、文教生として過ごす2年乃至4年だけを念頭に置いたものではなかったはずです。むしろ、予測困難な時代の実社会に第一歩を踏み出す今この時にこそより相応しいものではないでしょうか。実社会の一員としてそれぞれの場所で大切な役割を果たすことになるこれからこそ、生きた学びを重ねていかねばなりません。

 先ほど述べたとおり、「未来の世代により良い世界を遺し、引き継いでいく」という社会の一員としての責務を忘れずに日々学び続けることは、予測困難な時代を生きる私たちすべてが担うべき課題と言えますが、この広島文教大学で過ごした時間と、皆さんの内に息づく育心育人の理念は、この困難な時代を乗り越えることを必ずや可能にしていくはずです。

 

 

◇コロナ禍がもたらしたもの

 日々の学びや学友会活動、親しい友人や恩師との交流など大学生活の多くの場面において、入学当初からさまざまな制約と我慢、忍耐を皆さんに強いざるを得なかった日々を、私は痛恨の念と共に思い出さずにはいられません。しかし、いわゆるコロナ禍を経たいま振り返ってみれば、皆さんが涙を流した我慢の日々や、私たちが歯噛みしながら下した苦渋の決断の一つ一つは、社会全体でコロナ禍に打ち勝つためにそれぞれの立場で責任をもって振舞った、欠くべからざる取組みであったと意味づけておくべきであろうと思います。この未曽有の災厄を乗り越えた皆さんには必ずや「予測困難な時代」を乗り越えるための学び続ける力が備わっているであろうことを、そして必ずや新たな輝かしい未来が待っているであろうことを信じ、共にコロナの時代を耐え、乗り越えた仲間であるという強い連帯感をもって、今日私たちは皆さんをこの学び舎からお送りします。

 最後になりましたが、皆さんのご健勝とご多幸をお祈りし、多くの困難を乗り越えて大学での学びを成就させた栄えある卒業生・修了生をお送りする式辞といたします。

 卒業、修了、おめでとう。この広い世界のどこかで、またいつの日か、お目にかかれると信じています。

 

令和6年3月20日

広島文教大学長 森下 要治