令和3年度卒業証書学位記授与式を挙行しました

  • 2022.03.24
  • お知らせ

令和3年度卒業証書学位記授与式を挙行しました

令和4年3月20日(日)、本学体育館において令和3年度卒業証書学位記授与式を挙行しました。

修了生、卒業生のみなさま、また保護者のみなさま、おめでとうございます。

広島文教大学で、夢の実現に向けてそれぞれに研鑽を積んだ大学院人間科学研究科修了生3名、人間科学部卒業生319名が、大きな志を胸に学び舎を巣立って行きました。

本学教職員一同、修了生、卒業生のみなさまのご活躍とご多幸を心よりお祈りいたします。

 

 

 

 

 

学長式辞


「予測困難な時代」を生き抜くために

 本日ここに、令和3年度広島文教大学並びに広島文教大学大学院の卒業証書・学位記授与式を挙行するにあたり、学部卒業生319名、大学院修了生3名の皆さんに、心よりお祝い申し上げます。また、今日の日を待ちわびておられたにも関わらず、残念ながらご臨席を賜ることができなかった保護者、ご家族の皆さまにも、心よりお慶びを申し上げます。

 この2年間、新型コロナウイルスの影響により、各地で多くの行事が中止や延期を余儀なくされました。広島文教大学も例外ではありません。しかし私たちは、皆さんが真摯に歩んできた2年乃至4年の勉学の道に対する心からの敬意を以って、十分な感染対策を施しつつ、本式典の挙行を選択しました。そのことを、まずお伝えしておきます。

 皆さんは、本日、所定の学業を修了し、輝く未来に向けて羽ばたいていくこととなります。この時に当たり、実社会への一歩を踏み出す皆さんに、はなむけの言葉を贈りたいと思います。

 

「大学時代」という特権との別れ

 この大学生活の中で、皆さんは何を学んだでしょうか。

 それぞれの学科や専攻に所属して、将来への夢を胸に抱きながら専門的な学修を深めたことは、疑いのないところでしょう。信頼できる恩師に導かれ、親しい仲間に囲まれたキャンパスは、掛け替えのない学修空間であったはずです。また、学外実習、ボランティア活動、クラブ・サークル活動、さらには身近な人間関係など、大学生活のさまざまな局面における多様な学修が、皆さんの人間性の彫琢に資するところ大であったことと思います。

 いわゆるコロナ禍による多大な制約が生じたとはいえ、皆さんの2年乃至4年の間の学びの多くは、大学時代であるからこその特権がもたらした、と言うべきものです。とすれば、卒業という今日の節目は、この大学時代の特権を手放す時でもあるわけです。

 

「予測困難な時代」

 現代は、「予測困難な時代」であると言われています。現在の社会状況を見ても、感染症の広がりや環境破壊、貧困問題や政治的かつ思想的対立を背景とする紛争等、将来を見通すことの困難な課題が山積しています。そしてその一つひとつが、私たちの日常にも直接の影響を及ぼしています。

 予測困難、すなわちこれから先に何が起こるか、今後どのようになっていくかわからない時代に自らの支えになるのは、やはり「学び続けること」です。「学び続けること」によって、激しく移り変わる時代状況に適応し続けることが必要です。この学び舎を巣立ち、独り立ちする皆さんは、何よりもまず「学び続けること」を、改めて肝に銘じなければなりません。しかし、「学び続けること」を実践するには、闇夜を照らす灯のような正しい導き手が必要です。この予測困難な時代を乗り切り、人生の実りを手にするための導き手として、私は皆さんに「自分のための古典」を見出してほしいと願っています。

 

「自分の古典」を身近に

 古典と言っても、『万葉集』や『源氏物語』等ばかりを指して言っているのではありません。皆さんがこの文教で学んだ専門領域、すなわち教育学、福祉学、心理学、栄養学、そして語学やコミュニケーション学など、またこれから関わることになるそれぞれの領域には、事あるごとに立ち返るべき道しるべとなる書物、文献があるはずです。また、たとえ専門領域と関わるものでなくとも、常に寄る辺となる書物があることは、長い人生を歩む上での大きな支えとなります。

 イタリアの作家 イタロ・カルヴィーノは『なぜ古典を読むのか』と題した書物の中で、古典の定義に関わって、次のように述べています。

 古典は義務とか尊敬とかのために読むものではなくて、好きで読むものだ。ただし、学校は別だが。学校はよくもわるくも一定の数の古典についての知識をまず教えるところだから、その中から(あるいはそれを基準にして)「自分の」古典をそれぞれが見つけなければならない。学校の任務は、私たちが選択するために必要な道具をくれることだ。とはいっても、ほんとうに重要な選択は、学校のそと、あるいは学校を卒業したあとでなされる。

(I・カルヴィーノ、須賀敦子訳『なぜ古典を読むのか』河出文庫)

 「自分のための古典」を見つけるためのほんとうに重要な選択は、まさにこれからであると、イタロ・カルヴィーノは述べているのです。カルヴィーノの念頭にあるのは文学における古典ですが、引用した哲理は、あまねく私たち一人ひとりに関わるものであると言うべきでしょう。

 

理念ある「学び」が、人と社会を支える

 皆さんがこれからの人生の中で困難に行き当たったとき、2年乃至4年の学びとともにあった、学園歌を思い返してほしいと思います。創設者が作詞した学園歌2番の歌詞にある「行学一如」という言葉は、一つひとつの行いと日々の学びを一体として捉える精神を持った、学修者の理想の姿を表しています。文教で学んだ皆さんの精神の根底には、この行学一如の種が、確かに植えつけられているはずです。社会の一員としての責務を忘れずに努力し、日々学び続けることは、予測困難な時代を生きる私たちすべてに突き付けられた課題ですが、この広島文教大学で過ごした時間と、皆さんの内に育つ行学一如の精神は、この困難な時代を乗り越えることを必ずや可能にします。そして、日々歩みを進める皆さんの生活の傍らに「自分のための古典」が添えられることを願ってやみません。

 最後になりましたが、皆さんのご健勝とご多幸をお祈りし、式辞といたします。

 卒業、修了、おめでとう。この広い世界のどこかで、またいつの日か、お目にかかれると信じています。

 

令和4年3月20日     

広島文教大学長 森下要治