- 2026.03.24
- *お知らせ
令和7年度 卒業証書学位記授与式を挙行しました
令和8年3月20日(金・祝),本学体育館において令和7年度卒業証書学位記授与式を挙行しました。
修了生,卒業生のみなさま,またご家族のみなさま,おめでとうございます。
広島文教大学で夢の実現に向けてそれぞれに研鑽を積んだ大学院人間科学研究科修了生5名,教育学部卒業生164名,人間科学部卒業生213名が,大きな志を胸に学び舎を巣立って行きました。
本学教職員一同,修了生,卒業生のみなさまのご活躍とご多幸を心よりお祈りいたします。

学長式辞
本日ここに、令和7年度広島文教大学並びに広島文教大学大学院の卒業証書・学位記授与式を挙行するにあたり、学部卒業生377名、大学院修了生5名の皆さんに、まず心よりのお祝いを申し上げます。また、諸事ご多忙の折、本式典にご臨席を賜りました、元内閣総理大臣、自由民主党衆議院議員 岸田文雄先生秘書 田邊博之様、学校法人武田学園 武田義輝 理事長をはじめ、ご来賓の皆様方に感謝の意を表しますとともに、この日を待ちわびておられたご家族の皆さまにも、心よりお慶びを申し上げます。
自らの夢に向かって倦むことなく学びを重ね、そして深め、本日卒業の時を迎えられたのが、平成31年4月に大学名称を改めた広島文教大学の学部第4期生、大学院第6期生の皆さんです。この門出に際し、実社会への一歩を踏み出す皆さんに、はなむけの言葉を贈りたいと思います。
◇「分断と対立」が顕在化した社会情勢
この良き日を迎え、お一人おひとりの胸のうちは、明日から始まる洋々たる未来への希望で充ち満ちていることと思います。私たちも、皆さんの前途を共に祝いたいと思います。
しかし、昨今の社会情勢に目を転ずるとき、皆さんが活躍を期待されるこれからの時代を明るい未来として思い描く人は、果たしてどれだけいるでしょうか。
最近の日本社会や国際社会の状況に関する報道を見ると、この地球上の各地で、また私たちのすぐ身近な場所で、様々な形の「分断と対立」が生じているように感じられます。例えば、日本国内でここ数年の間に実施された、国の行方を選択する選挙においては、政治的・思想的に極端で現実味に乏しく、時には真偽不明とさえ思われる言説が、有名・無名を問わず、また対面の場でもSNSの世界においても、無秩序に、そして論理性と冷静さの欠落した表現によって発信されるケースが頻繁に見られました。また、世界の情勢に目を向ければ、大国間の対立や自国中心主義によるグローバル化の後退、権威主義的政策の横行、あるいは国際法を省みない政治リーダーの言動など、国家間の断絶の懸念が強まっています。これらの極端で先鋭化された動きが、日本においても国際社会の場においても、平和的な対話や未来志向の建設的な合意形成を妨げる場面が増えてきています。社会の「分断と対立」が現実的な危機として私たちの身近に迫ってきていると受け止めなければならないでしょう。
皆さんが卒業年次生として学んだ昨年は、第二次世界大戦終結から80年、また、私たちが学び暮らす広島にとって大きな区切りの被爆80年でした。しかし、このヒロシマの願い、人類の願いと言うべき世界平和は、今この瞬間にも侵され続けています。
我々を例外なく取り巻いているこの社会の実状を、一人ひとりが直視しなければなりません。
◇「分断と対立」を乗り越えるために
このような予測困難で混沌とした時代、危機的な時代をいかに乗り越えるか―それは私たち一人ひとりが責任を持って取り組むべき課題ですが、それを考えるために、原点に立ち戻ることは無駄ではありません。
第二次世界大戦終結からおよそ5か月後、いまも続く月刊の論壇雑誌『世界』が刊行されました。その創刊号には、のちに日本人として初めてノーベル賞を受賞することになる物理学者・湯川秀樹が、「自己教育」と題した短い随想を寄せています。
湯川は、戦前・戦中の政治状況について、知識階級が「日本の破局を救うのに殆ど役立たなかった」と振り返り、戦後の今こそ社会教育が重要であるとして、そのあるべき姿を次のように述べています。
(所で)真の社会教育は学校教育のように、先生は先生、生徒は生徒といつも地位の定まっている性質のものではなかろうと思う。吾々は、社会の一員として、何かの方面で詳しい知識と経験を持つと同時に、その他の方面では素人であることを免れない。(中略)各人がひとりよがりの指導者となることよりも、かえって国民全体が互いに教えつつ、教えられつつ良識と教養の水準を高めていくことが社会教育の理想であろう。その場合各人が常に自己を教育する熱意を失わぬことがこの目的達成のために最も大切な条件となるであろう。
(『翻刻 世界 創刊号』101頁)
ひとりよがりに陥ることなく、惜しみなく伝え、謙虚に学ぶこと。そして、常に自己研鑽を怠らぬこと―学び合いを通して他者と繋がりながら、生涯にわたって学び続けることを説くこの湯川の文章は、現代の危機的な社会状況に対してもしっかりと切り結び、そして分断と対立に晒されている私たちの歩むべき道筋を照らしてくれているように思われます。
また、戦前から戦後にわたる長い時間をかけ、この湯川の言葉を、まるでほとんどそのまま実践したかのように生き抜いた人物を見出すこともできます。私が思い浮かべるその人物は、山口県の周防大島に生まれ、文字どおり自らの両脚で旅を重ね、行く先々でその土地を見つめ、庶民の言葉に耳を傾けながら人々の生活を掘り起こすという、独自の研究方法を打ち立てた民俗学者・宮本常一です。
宮本は、自身の半生を振り返った著書『民俗学の旅』において、次のように述べています。
私自身はよく調査にいくとか調査するとか、調査地などといっているけれども、実は正真正銘のところ教えてもらったのである。だから話を聞く時も「一つ教えて下さい。この土地のことについては(あるいはこの事柄については)私は全く素人なのですから、小学生に話すようなつもりで教えて下さい」と言って話を聞くのが普通であった。
私はその話が納得のできるものであれば他へもいって披露した。それが私のように旅する者の役目だと考えた。そういう私にまたいろいろの知識を授けてくれた人も少なくなかったし、地方の多くの人びとを紹介してくれた人も少なくなかった。
(宮本常一『民俗学の旅』(講談社学術文庫)169頁)
人と会って話を聞き、ほかの土地へ行っては聞いた話を教える宮本の旅は、現在のように交通の便や通信技術が十分に行き届いていなかった時代にあって、実に貴重な学び合い、教え合いの実践であったはずです。そして、このような自らの旅を宮本自身は、「人に逢う旅であった」と意義づけています。湯川秀樹が語った理想や宮本常一が貫いた実践は、オンラインでの対話やSNS等の通信技術が日進月歩の現代にあってもなお、人と人とが直接に向き合い、繋がり合うことの意味や大切さを教えてくれているように思われます。
そして、そうした人間同士の繋がり合いが十分に建設的かつ生産的であるためには、自分がいまいる現在地を正しく把握することが必要です。
室町時代の能楽師・世阿弥に、「離見の見」という教えがあります。「離見」とは離れて見ると書きます。「離見の見」は、能の舞台で舞い演ずる能役者に求められる心の在り方として、自分自身のいまの姿を見物席にいる観客と同じ心で見つめること、すなわち主観的な認識を離れ、自分自身を客観的に見つめることの重要性を説いた教えとして理解されています。世阿弥の時代からはるかに降り、二十世紀後半の構造主義をリードしたフランスの文化人類学者レヴィ=ストロースが、この「離見の見」に触発されて自らの学問の戒めとしたことはよく知られています。
コンピュータでもロボットでもなく人であるからこそ、自分自身、すなわち「私」というアイデンティティをとおして状況を見つめなければなりません。そうして得られたものこそ客観性を備えた情報となり、それを足場として考え抜かれ交わされる言説こそが真に社会を変えうる力となるはずです。そのとき、自分自身がいまいる現在地を正しく把握しておかなければ、すべての言葉が空虚なものとなってしまうでしょう。
自分自身そして「私」というアイデンティティをとおして物事を見つめ、そうして得られた客観的事実を拠りどころとし、他者への敬意と信頼とをもって言葉を発し、自分に向けられた言葉を謙虚に受け止めることを、責任ある社会の一員として、ぜひ心にとめておいてほしいと願います。
◇理念ある「学び」が、人と社会を支える
今日 卒業・修了なさる皆さんを本学に迎えた入学式の場でおはなししたことを、いまもう一度お伝えしておきます。
皆さんには、自らの豊かな人生を実現するための学びだけでなく、社会との関わりの中で自らの果たすべき役割を確かに見据えた学びを修めてほしいと願い、それを創設者 武田ミキが残した次の言葉でお伝えしました。すなわち、
社会の正常なる発展は、帰するところ人であります。本学園の教育指針は、この人づくりであります。
創設者 武田ミキは、教育によって学修者一人ひとりの力を十分に伸ばし、有為な人材として社会に送り出し、もって社会の正常な発展に資することを願っていました。それを端的に表したのが、皆さんが親しんだ「育心育人」という教育理念です。創設者が考えた「社会の正常なる発展」とは、まさに次の世代に受け継ぐべき「より良い社会、より良い世界」を意識したものですが、創設者が残したこの言葉は、文教生として過ごした2年乃至4年だけを念頭に置いたものではなかったはずです。むしろ、分断と対立が進む予測困難な時代の実社会に第一歩を踏み出すいまこの時にこそ、より相応しいものではないでしょうか。実社会の一員としてそれぞれの場所で大切な役割を果たすことになるこれからこそ、生きた学びを重ねていかねばなりません。
いま述べたとおり、社会の一員としての責務を忘れずに日々学び続けることは、この時代を生きる私たちすべてが担うべき課題と言えますが、この広島文教大学で過ごした時間と、皆さんの内に息づく育心育人の理念は、来るべきさまざまな事態を乗り越えることを、必ずや可能にしていくはずです。
◇コロナの時代の傷を乗り越えて
本日学部を卒業する皆さんの入学当初からのおよそ1年間は、コロナ禍の終息に向けた最後の取組みとして、日常の学びや学友会活動、親しい友人や恩師との交流など、大学生活の多くの場面に、さまざまな制約と我慢、忍耐を強いる日々でした。あの時間を、私は痛恨の念と共に思い出さずにはいられません。しかし、いま振り返ってみれば、皆さんがコロナ禍に耐えた我慢の日々や、私たちが歯噛みしながら下した苦渋の決断の一つひとつは、地球社会全体が等しく直面した災厄に打ち勝つために、それぞれの立場で責任をもって振舞った、欠くべからざる取組みであったと意味づけておくべきであろうと思います。この未曽有の災厄を乗り越えて成長した皆さんには、やがて訪れるであろうさまざまな事態に果敢に対処するための学び続ける力が必ずや備わっているであろうことを、そして新たな輝かしい未来が必ずや待っているであろうことを信じ、社会全体が抱えるさまざまな課題に共に立ち向かう仲間であるという強い連帯感をもって、今日 私たちは皆さんをこの学び舎からお送りします。
最後に、皆さんのご健勝とご多幸をお祈りし、仲間とともに歩みを進めて大学での学びを成就させた栄えある卒業生・修了生をお送りする式辞といたします。
卒業、修了、おめでとう。この広い世界のどこかで、またいつか、お目にかかれる日を信じてやみません。
令和8年3月20日
広島文教大学長 森下要治








